修験者ウォークで知る

『ハトムネ』とは

八菅神社の屋根

事務局の大木さんが、一生懸命にこの道が尾山耕地に続き、その規模その影響について語って下さった。

ホームページで少しは知っていたつもりだったが、やはり直接聞くとしみじみと分かってくる。道を使う側の立場からすると、一本松まで行かないで半僧坊まで出れるのは魅力があるが、はてさて八菅山まで行くのは年に何回あるのやら?

そう考えると、僕にとっては余り必要のない自然破壊かもしれない。

二番行場の石神社で昼食になりました。石神社にも経塚があり、それを横浜の方が掘りだし、出土品を自分で持たれているとの事でした。(神社脇のは奈良埋蔵文化財の資産だそうです)

三番行場は館山になりますが、ここは砕石場となり今は何もありません。

四番目は平山です。沓掛の道を登りますが、ここには石の祠があるそうです。参加者は皆疲れていて、ここも登らないで進み、今回の最終目的地の塩川滝に進みました。修験者達は塩川滝の塩水で体を清め、法華峯に登り身を益々清め山神から華厳岳に向かいます。しかし、我々の修験はここで終了しました。スタートから5時間も掛って 全修験の1/6の工程でした。

幣山への道

尚、宝珠山では13歳の行者が行の途中で亡くなり、そこに川原石が今でも置いてあるそうです。次の頁

矢後さんの背中と老松の碑