鰐淵寺 |
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鰐淵寺川清流 |
この町に生まれて誇れるものは、青い海とこの場所だった。 勉強の苦手な僕達グループは、授業をサボって先生によく叱られていた。学校の規則が合わなかった。 海水浴も夏休み前は禁止されていたが見つからないように海や川そして沼で泳いだ。 でも異常に陽に焼けた顔をしていたので、両親や先生達は多分分かっていたと思う。 |
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しかし、海に近いこの鰐淵寺に行っても 、規則を破ったと叱る人は誰も居ない。ここは、紅葉の時期以外は町の人でも滅多に訪れない静かなところだ。 この場所が好きだった。理由は良くわからない。 兄が一眼レフの写真機を買ったので、それを借りて、ここで写真を撮った。その頃は土門拳も知らなかったし、興味もなかった。上手くは撮れなかったが写真は今でも残っている。 |
不動明王像 |
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大慈橋 |
”こんな寂しい山に入って何が面白いか?”と母親に言われるが、好きなのでしょうがない。 昔、父親と登った事もあるし、亡くなった義理の兄さんとも行った事がある。思いでの場所ではあるが、それだけが理由でもない。後醍醐天皇を救った英雄の頼源や、弁慶が修行した場所だからでもない。 結局、良く分からない。無理に理由をつければ、色々なものがありながら、誰も居ない僕だけの遊園地だからなのかも知れない。 |
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まず、最初に目を見張るのは沢の美しさである。数年前に土砂崩れで水が堰きとめられた時は、更に綺麗な渓谷が現れた。 沢を右に見て暫く行くと、不動明王が立っている。車では気がつかないがこれがなかなかで、一人の時は恐さがあった。 更に進むと仁王門に到着する。ここの仁王さまは筋肉質である。最近、相模大山の寺を訪れているが、全般に目が大きくお腹がでている四〜五十代の体躯の仏象が多い。ここは若い人の作品かも知れない。 |
仁王門 |
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本坊入口 |
ここを潜ると右手に本坊が見える。住居になっているのでまだ一度も、入ってはいないが*庭園が見所とのことだ。
*全国150名園の1つに選ばれている。 この辺りはもみじが多いので、紅葉の時期には絶景ポイントになる。 ホームページで『鰐淵寺』を検索すると、鰐淵寺橋と紅葉のセット写真が良く記載されている。 |
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左側に、この寺の縁起が書かれた看板がある。それによると、推古天皇の眼病を智春上人が浮浪滝にお祈りして完治したので、その報償として建立されたとある。 ここに来た都度読んではいるが、なかなか覚えられない。 鰐淵寺橋を渡るとすぐ右手に御成門がある。ここも好きな建物である。 |
休憩所 |
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浮浪の滝の蔵王堂 |
そして、いつもなら石段を登り根本堂に向かうが、浮浪滝の蔵王堂の写真が撮りたくて、逆方向に歩いた。 すると、トトロでも飛び出すような休憩所の屋根が目にとまった。 なんだか絵本の中の光景に思えて足が止まった。 眺めてる間に3組のグループが脇を通りすぎた。1組は北山を縦走をしているような服装だった。この町に私が残っていたら、通りすぎた登山グループのひとりで、 雨の中に写真機を構えている自分を横目で見ながら通りすぎたであろう。 |
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沢を渡り蔵王堂に向かった。山王七仏堂を過ぎると沢沿いの細い道になる。濡れた岩に足を掛けると 登山靴はツルツルと滑った。 階段を上り休憩所を少し進み左に折れると、蔵王堂が見える。 もう何十年以上変わらない風景だった。悪ガキ時代から 、同じように浮浪滝からはしっとりと水が流れ落ち、蔵王堂は正面に、訪れる人を静かに見守っている。滝壷は透き通った水で満たされている。 いつものように祈る事も忘れ、蔵王堂に入るルート等を考えて時間が過ぎてしまった。 ゆっくりと浮浪滝を離れ、根本堂に向かった。 雨を喜んだのか、カエルが足元から数メートルも飛びあがる。 |
根本堂(正面) |
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根本堂(宝仏殿側から) |
滴翠館脇の階段を上ると是心院がある。ここの庭園は見事で、かつ飯盛山を借景としたものは見ごたえがあった。 しかし、今は足の踏み場も無く、崩れた壁や雑草が人を寄せ付けない。時代は流れ淘汰されるものも多いが、この町のこの寺の大事なものがまた1つ無くなった。 そして、宝物殿に行こうと思い階段を進むと、*根本堂に向かう石段が全て取り外されていた。 *10年前のビデオから抜出した映像で階段部分のページを作くりました。 上段のインデックス『根元堂前の風景』です。 この石段は何万人もの人が少しずつ角を削り、紅葉の落ち葉が似合う様に丸くなったものである。濡れたもみじが石段と しっかりと合っていた。 まさか全く雰囲気の違う石で置換えられる事が無いように願いつつ迂回路を歩いた。 |
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根本堂(摩陀羅側から) |
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摩陀羅神社と常行堂 |
根本堂の朱色の破風が、垂れ下がった紅葉の枝の間から見えてくる。
ここには慈覚大師円人の作とされる薬師如来と千手観音像が本尊として安置され、33年に1回開扉されという。 まだ一度も見たことが無いが次回のチャンスに訪れる事が出きるのだろうか? 左に阿弥陀如来像があり、その隣に摩陀羅神社と常行堂がある。 |
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先日までこの建物は摩陀羅神社と記憶していたが、実は二つの建物が一体になり 、手前が慈恵大師良源を祀った常行堂で奥が摩陀羅神を祀った摩陀羅神社になることを最近知った。 この建物が自分は根本堂よりも形的には好きである。2つの建物を繋いだ屋根の曲線 、周囲の杉の大木や狛犬がこの建物の雰囲気をさらに盛り上げる。 さて、飯森山を眺めるこの場所の、足元の森の荒れているのも気にはなるが、この山全体がどうなるのか心配である。 横浜に帰る夜行列車の出発までの時間も残り少なくなった。頼源の碑のある和田坊を尋ね、足早に念仏堂跡を過ぎて駐車場に戻った。 |
和田坊跡 |
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以下は”小学館の古寺を行く”の40号『鰐淵寺と山陰路の名刹』からの抜粋です。 鰐淵寺は天台宗の寺で山号は浮浪山。一帯はお釈迦さまが初めて『法華経』を説いたとされるインドの山の一部が欠けて漂ってきた所なのでその名を付けられた。 開創は594年で、智春上人が霊力を持って推古天皇の眼病を治したので天皇の発願により建立されたのがこの寺の始まりという。 鰐淵寺は出雲地方の蔵王信仰の中心でもあり平安時代になると大きく発展した。平安後記には今様にも謡われ修験の道場として中央に知れれるようになった。 鎌倉時代は「出雲国中第一之伽藍」とよばれ次の南北朝時代にかけて寺領も飛躍的に増加した。戦国時代には尼子や毛利の保護と統制を受けた事が知られる。最盛期には境内には3000余坊があって谷々を埋めたとも伝えられる。現在は本坊だけとなった。 2000年5月 ---------------------------------------- 明治30年にこの地を訪れた詩人大町桂月は 、鰐淵寺の印象を「鰐淵寺は行路便ならざるが故にいまは殆ど廃れむする様也。されど其の山水の幽邃なること、他にその比を見ず、山高く、谷深く、千年の老杉亭々として山気自ずからほとばしり、猿声夜渓水の音に和す。鰐淵寺滝、水は少なけれども、奇にして幽峭なること滝の名物なる日光に持ち去るも恥ずかしからぬこと。」と書いた。 蔵王堂 ------- *慈恵大師良源は比叡山延暦寺の中興の祖 |
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鰐淵寺の住所 出雲市別所町148 アクセス 一畑電鉄 平田駅で下車して、駅前のバスで「鰐淵寺駐車場」まで 2時間に1本です。 尚、韓竈へは平田駅で「獅子が鼻」行きに乗って下さい。ここも2時間に1本です。 |
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ヒデオ(youtube) 「あきのいろはに 鰐淵寺」 7年、12年の紅葉の写真と俳句から作成しています。 「鰐淵寺〜水無月の静寂」 14年の6月に初めて撮影したビデオ です。 「楯縫郡の庭園」 平田の庭園を録画・編集したも同時にセットしました。 |
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各ページの概要 2007年、30年ぶりの鰐淵寺の紅葉とその足で京都に行ったのでその写真が記載しています。 2012年、紅葉時に鰐淵寺へ行って、もうこれが最後の鰐淵寺だと思ってアップしました。 ふるさとぶらり見てある記の平成13年10月号から抜粋しました。絵図を記載してます。 『出雲国 浮浪山 鰐淵寺』と小学館の『古寺を行く』を参考に編集しています。 |