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華厳山をたのしむ (石を楽しむ) |
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発句石を探し、峰歩きを続けた。-1- |
*発句石には『この山やこの鶯に人も居ず』の句が彫られていて、この山を愛した七右衛門がこの石で休んだ時に作ったという事である。 華厳から高取山まではなだらかな下りになる。この稜線は下から見ると涸沢カールでみる北穂〜穂高岳の稜線に似ている。そう言えば、黄色いチラシの荻田さんが荻野高取〜仏果山〜半原高取を『相州アルプス』と提言されているが、そうなると仏果山は槍ヶ岳に相当するのかな?-2- |
『相州』は馴染みがないのでしっくりこないが、荻野高取山から半原高取山までは8時間以上かかる立派な縦走路であることは間違いが無い。-3- |
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山歩きの最初の頃は、登る事だけが目的だった。そして木々に興味を持ち、この山歩きでは石にも興味を持った。高取山頂上からほんの少し下ったところに発句石 はあった。-4- |
発句石は江戸時代の終り頃、麓の下荻野村に七右衛門という研屋が住み、仕事のかたわら俳諧をたしなんで号を芹江といった。芹江は西山の自然を愛したびたび足を運んだ。 |
ある時いつものように華厳山に登った芹江は、この石のところでひと息入れ、眼下に広がる相模平野を眺めながめていると、誰もいない山の木立で鳴く鶯の声がきこえてきました。芹江は、この山や------の一句をものにすると持ち合わせた筆に墨をふくませ傍の石に書き付けて山を下りました。やがて、この事が知れ渡ると、いつしかこの石を『発句石』と呼ぶようになったと言います。尚、芹江の句は荻野側で裏は後年彫られた飯山の寿年の句だそうです。(黄色いチラシより抜粋) |